スタッフ
安川和子
生年月日
1976年12月16日(いて座・数秘33)
趣味
自己探求・占い好き
活動
助産師大好き活動家(と勝手に名乗っております)
布ナプキンとふんどしパンツ製作販売
子ども会役員・PTA役員を今やってます
自分を見つめなおすきっかけは親の病気から
主人と結婚して17年目、高一女子と中一男子と暮らしております。
何も考えずに、世間一般のイメージを「当たり前」に「普通」にを生きてきました。
自身の結婚、妊娠、出産、育児のタイミングで
父親の癌~死、それをきっかけに、母親の鬱。そして年月を経て母の癌~死を体験させてもらいました。
その期間、自分も今思えば産後鬱のような状態(病院はいかずにに薬は飲まなかった)でもあり
何故、「人は鬱や病気になるのだろう?病院に行って治療や薬を使ってるのにどんどん悪化するのは何だろう?」
という疑問と、自分はそうなりたくないという思いから、いろいろと探求に入っていきました。
色々と知るきっかけ
その疑問の答えを辿るかのように、
近所の助産所に出会い立ち合い出産(主人は下から出てくる息子を全部見ていて、へその緒も切りました)
その時に自然療法や布ナプキンにも出会い、その時の助産師さんに精神的に助けて貰えたところから助産師さんが好きになりました。
そのころから「当たり前・普通」と思いこんでいたものと180度違う考えにそのころから触れる機会が増え、
ちょうどそのころ、2011.3.11の東北の大震災。
今までこれでいいと思い込んでいた生き方はなんだったんだろう?となり
夫婦で後悔のないように生きていこうと決め、自分達がやってみたかったことを進んでいきました。
主人が学生の頃やってみたいを抱いていた整体を学び一度目の開院。
私は、母の鬱のこともあり、一人目産後から仕事復帰はせず、もともと好きだった手芸で旦那のお母さんと作ったものを販売したりしたところから
布ナプキンとふんどしパンツを作って販売してお話などをしております。
お互いにやりたいことをやってみるを積み重ね、
自分家族実験で、ルーティンのような生活から、少しずつ、自分のやりたくないをやめて、やってみたいをやってみるをコツコツ積み重ねました。
自分の子供たちにもそんな風に生きてる親の方がいいんじゃないかな?とか自分の親にそう生きて欲しかったと思っていたのもあります。
布ナプキンとふんどしパンツを作って販売して伝え、助産師さん好きを続けて得たもの
そもそも、二人目の妊娠中に尿漏れがあったことに困って布ナプキンに出会って助かったというのがきっかけ。
そこで、助産師さんに精神的に助けられたという感覚から
手芸好きだった私は何か恩返しできることはないのか?というのも布ナプキンを販売したきっかけでした。
「自分のカラダとココロで自分で産むという感覚の人が少ない」ということを知ったからです。
「お医者さんや助産師さんが何とかしてくれる」
「自分のカラダのことや妊娠や出産や育児ってよくわからない」
私もそんな人だったし、そんな人も多いと聞きます。
結婚したらマンションを買って、支払いや将来の不安のために働き、家におらず、夫婦でじっくり過ごすことも少ないまま
妊娠して、臨月まで働き、自分のことに向き合わないまま、出産。
親の鬱やら育児のよくわからない不安からノイローゼ気味になって、誰を頼ったらいいかもわからず、
不安を旦那や子供にぶつけるの繰り返し。
そこで出会った、助産師さん。助産師さんがいてくれるという安心感が私の人生を変えました。
そこから、性教育にも触れ、望まない妊娠出産のことが大きく親子関係に関わってくるんだとしりました。
布ナプキンとふんどしパンツは自分に意識を向けるためのきっかけにすぎませんが、
自分の性的部分、締め付けないという体感、布を整理の時に当てる、経血を自分の手で洗うなど
自分を知る、当たり前が当たり前じゃなかったことを知るきっかけにはほんとにいいアイテムだと思います。
親や学校では教えてもらえなかったと文句を言っていた私でしたが、
自分で知ろうとしなかったという、着地となり、一事が万事、人のせいにしていたと気づきました。
生きているということは、本来、
自分で知ろうとし、自分で選び、自分で決めることだなと思い知らされています。
何故、人は病気やケガや精神を病むのか?の自分なりの答え
私は布ナプキンとふんどしパンツを売っていることで繋がらせて頂いたセラピストさんもたくさんいて
主人も整体の勉強をし資格を得ていますが、
私自身は、セミナーにはたくさん行ったものの、
資格と言われるものに興味はなく、なんとか団体所属とかもしてません。
いろいろセミナーなどに行く中で、自分実験をして、やってみるを繰り返してきたと思います。
私自身はアダルトチルドレンで、自分の意志より親が喜ぶと思うことを選択することが多かったんだと認識したのが一つ。
その延長で自分の家庭を持ち、主人と子供が喜ぶであろう選択をして
自分を押し殺してしていることが多かったんだと認識しました。
その我慢が、時折爆発して怒りになったり、外面と内面と違う自分に気づいたりと
「子供」「母親」「妻」「友達」「仕事」と役を無意識に演じている自分に気づきました。
辿ると、その無意識の演じているのが、無意識の「我慢」に繋がり
自身の親も、無意識の思い込みから来る「自分でも気づいてない我慢」が病気に繋がったんだと私は捉えるようになりました。
それは、よく言う「自分を生きてない状態」なんだと考え方も変化していきました。
ここら辺を理解する頃は、両親とも他界していたので、
自分の家族でひたすら「実験」かのように、自分を見つめることと家族に声掛けすることとを繰り返しました。
「全部自分」の感じ方、捉え方、思い込み、が変われば、家族が変化していくを今は体感しています。
ココロとカラダは本当に繋がっていた
「ココロとカラダが繋がっているのか?」がとにかく面白くなってきて
最初は、親のことが悩みだったはずが、自分の生きにくさがあるんだというところを何とかしたいになり
自分がなんかよく分からない不安や焦燥感に常に襲われてる感覚すら気付いてなかったところから
気付けて来たら、今度は何とかしたいでいろいろやりました。
8年位前、自分を撫でる事すら「気持ち悪い」と認識した日があり、
コツコツと、自分のカラダとココロにとにかく向き合って、
ある時から、「カラダっておもしろい!」「思考ってこんなに回っていて、思い込みがすごい」という
無意識で生きていたのを意識するようにしたら、面白くなってきました。
呼吸を意識してする、ストレッチを気持ちよさを感じながらする、
あー、心臓って勝手に動いててくれてて、血って勝手に流れててくれるんだな。
カラダってすごいな、有難いな、生きてるなー。ただそれだけ。
「自分」という生き物は「自分」を見てて欲しくて、自分を知ってて欲しいんだ
それを無視して生きてるときに、「気付いてよー」という自分からのお知らせで
病気やケガなど、自分の弱いところに症状が現れて、お知らせしてくれているだけ
ということが腑に落ちました。
それを、ただとにかく気付いて繰り返しやり、主人と共有し、
家族にほんとに内側の変化が出て、
「幸せと感じる」ということはこういうことか!になったのが今です。
ボディーワークとココロのサポートをさせて頂くということ
先にも書きましたが、元々、自分で触れることも気持ち悪く感じる人で、
こそばったがり、身体に緊張もあり、歯ぎしり、呼吸が浅いなどもあり、
気も使うし、人と交わるのもなんか疲れるしとか、素が出せない自分である時
人から施術を受けることも苦手でした。
ココロの方からいろいろやり、
自分でコツコツ少しずつ身体を触っていき、
信頼する施術家さんとも出会い、自分が変化していきました。
ココロのことだけやるのも変化はむつかしく、
カラダのことだけやるのも変化しても戻りやすいことも分かりました。
今では、深い呼吸、心地よさを感じる、幸せや満足感を感じる、など
ココロとカラダを緩めて、自分らしさを取り戻すことで
物心ついてから自分になかったと感じていたものが変化したことを楽しんでいます。
上に記した漠然とした、よく耳にするけど、自分でよくわかってないとも気付いてないことってたくさんあります。
自分を長年無視してきた「自分本来の感覚」を「取り戻す」をコツコツやってきた私だからこそ
そこに、苦しんでいる人に私だから出来るコツコツサポートが出来たらと感じてやり始めることにしました。
長年、見て見ぬふりしてきた自分に、自分で寄り添うことはコツコツ時間を掛けることが必要です。
そのサポートを一緒にさせて頂きたいと思っています。